カリフォルニア米の歴史〜
知られざる先人、国府田敬三郎

1. はじめに

カリフォルニアで育つお米は、アメリカの食卓に欠かせないものになっています。その歴史の中で、特に大きな役割を果たしたのが、 国府田敬三郎(こうだ・けいさぶろう) という日本人移民です。彼は1928年に「 コダファームス 」という農場を始め、カリフォルニア米を大きく発展させました。国府田敬三郎は、飛行機を使った種まきや、新しいお米の種類「 コクホローズ 」を作るなど、たくさんのアイデアで知られるようになり、「 ライスキング (お米の王様)」と呼ばれました。このページでは、彼の人生を軸に、カリフォルニア米がどうやって育ってきたのかを、時系列で見ていきます。苦労や工夫、そして今に続く影響を、わかりやすくお話しします。

2. 国府田敬三郎の早い人生とアメリカへの旅

1882年:日本での誕生

国府田敬三郎は、1882年に日本の福島県で生まれました。父は元々武士でしたが、後に米の製粉や仲介をする仕事に就いていました。お米に囲まれた環境で育った敬三郎は、大学を出て、20代で学校の校長になりました。しかし、彼の心にはもっと大きな夢がありました。

1908年:カリフォルニアへの移民

1908年、26歳の時に、アメリカで成功を掴もうとカリフォルニアに渡りました。当時、多くの日本人が新しいチャンスを求めてアメリカへ行きました。敬三郎もその一人で、最初は石油を掘ったり、洗濯店を経営したり、缶詰会社を始めたりと、様々な仕事に挑戦しました。しかし、彼の運命はお米と結びつくことになります。

3. カリフォルニア米の始まりと敬三郎の挑戦

1909-1912年:カリフォルニア米の最初の芽

カリフォルニアでお米が作られ始めたのは、1909年です。日本の農業技術者が、バット郡で ジャポニカ米 (日本風の短粒米)を育てました。1912年には、商業的な栽培が始まり、北カリフォルニアに広がりました。しかし、当時はまだ日本から輸入したお米を食べる日本人が多かったです。

1910年代後半:米作りを始める

敬三郎は1910年代後半、サッター郡のナイトズランディング近くで土地を借りて米作りを始めました。しかし、1913年の「 外国人土地法 」という法律で、日本人などの外国人が土地を持つことが難しくなり、彼は苦労しました。それでも諦めず、1920年代まで頑張り続けました。

1918年:日本米の輸出禁止とチャンス

1918年、日本で「 米騒動 」が起きて米不足になり、政府が米の輸出を禁止しました。これにより、カリフォルニアに住む日本人移民がお米を買えなくなり、代わりに地元のお米が注目されました。ここで、敬三郎の米作りが大事な役割を果たし始めます。

4. コダファームスの誕生と革新

1928年:コダファームスの設立

1928年、敬三郎はサンホアキンバレーのドスパロスで「 コダファームス 」を始めました。ここで彼は、 飛行機を使って種をまく という新しい方法を取り入れました。さらに、最新の乾燥機や製粉所を作り、お米の品質を高めました。彼は米糠(お米の皮)を餌にして、1000頭の豚も育て、農場を大きくしました。この成功で、彼は「 ライスキング 」と呼ばれるようになりました。

5. 戦争と試練の時代

1941-1945年:強制収容所へ

1941年、第二次世界大戦が始まり、アメリカは日本と敵対しました。1942年、大統領令9066号で、敬三郎と家族はコロラド州の アマチェ強制収容所 に送られました。農場は他人に預けざるを得ず、戦争が終わる1945年まで苦しい生活を強いられました。戻った時、土地や設備の多くが失われ、10,000エーカーの農場は1,000エーカーしか残っていませんでした。

「戦争で全てを失ったけど、家族と一緒にまた始めよう。」と、敬三郎は決意しました。

6. 戦後の復興と新しいお米

1945年:再スタート

戦争が終わり、敬三郎と息子たちは農場を再建しました。特に息子のエドワードとウィリアムは、 スイートライス (甘いお米)の需要を見つけ、カリフォルニアで初めて商業的に育てました。「ショチクバイスイートライス」や「ブルースターモチコスイートライス粉」が人気になり、お菓子や料理に使われました。

1954年:アメリカ市民に

1954年、敬三郎はアメリカの市民権を取りました。長い努力が認められた瞬間です。

1960年:日本の賞を受賞

1960年、日本の天皇から「 聖宝章四等 」をもらいました。これは、彼が日米の関係を良くし、移民として成功したことをたたえるものでした。

1962年:コクホローズの誕生

1962年、敬三郎の夢だった新しいお米「 コクホローズ 」が完成しました。これは中粒米で、寿司や普段のご飯にぴったりでした。彼が雇った専門家と一緒に作ったこのお米は、カリフォルニア米の品質をさらに高めました。

7. 敬三郎の死と遺産

1964年:旅立ち

1964年、敬三郎は82歳で亡くなりました。しかし、彼の家族はコダファームスを引き継ぎ、今でもカリフォルニア最古の家族経営の米農場として続いています。孫のロビンとロスが農場を守り、彼のアイデアと情熱を受け継いでいます。

8. カリフォルニア米の歴史をまとめた表

出来事
1882 国府田敬三郎が福島県で生まれる。
1908 アメリカのカリフォルニアに移民。石油や洗濯店などの仕事を始める。
1909 バット郡でカリフォルニア米の栽培が始まる。
1912 カリフォルニア米が商業的に作られ始める。
1918 日本が米の輸出を禁止。カリフォルニア米の需要が増える。
1928 ドスパロスでコダファームスを設立。飛行機で種まきを始める。
1941-1945 戦争で強制収容所に。農場を失う。
1945 戦後、農場を再建。スイートライスの栽培を始める。
1954 アメリカ市民権を取得。
1960 日本から聖宝章四等を受賞。
1962 コクホローズが開発され、市場に出る。
1964 国府田敬三郎が亡くなる。

9. 結論:敬三郎の遺したもの

国府田敬三郎は、カリフォルニア米の歴史に大きな足跡を残しました。飛行機での種まきやコクホローズ、スイートライスの開発など、彼のアイデアは今でも生きています。戦争という辛い時期を乗り越え、家族と共に農場を立て直した彼の強さは、ただのお米作り以上の物語です。コダファームスは今も続き、カリフォルニア米が世界中で愛される基盤を作った敬三郎は、知られざる先人として記憶されるべき人です。